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路上で神に祈りを捧げる人々

アフリカにはクリスチャンの国が多い。
ジンバブエやザンビアなどでは
車の窓にキリスト様シールが貼られ
長距離バスの発車前にはみんなでハレルヤを唱え、
挨拶にはしょっちゅう「God」がでてくる。
だけどそのGodは白人からもたらされた神様だ。

だがエチオピアはちがう。
彼らは植民地化されるずっと以前、古代の昔から、独自にキリストを信仰してきた。
カトリックではない。
「エチオピア正教」だ。

アディスアベバの町中にはたくさんの教会がある。
以前にも載せた写真だけれど・・・。

三位一体教会
(三位一体教会 by ViviCam5050)

聖ギオルギス教会
(聖ギオルギス教会)

私が訪れたのは2010年の3月半ば。
復活祭の頃で、しょっちゅうミサが行われていた。

ミサの時刻になると、あちこちの教会からスピーカーで祈りを唱える声が流れてくる。
歌声のような響きとリズムは、こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、イスラム教のアザーンとちょっと似ている。

スピーカーからお祈りが聞こえてくると、
通りを歩いていた人たちがいっせいに足を止めた。
そして祈りはじめた。
教会にむかって腕をクロスさせたり、手のひらを空に向けたりする。
伏して祈るひともいる。
どの国でもどの宗教でもかわらない、厚い信仰の印だ。

ステンドグラス

振り返れば、みわたすかぎり。
視界にいる人たち全員がそうしていた。
教会の門の内側にいる人も、外側にいるも、たまたま通りがかった人も。
白い布をまとった人も、スーツの人も、ジーンズの若者も。
参拝客も。
物乞いも。
サラリーマンも。
客引きも。
ともに祈っていた。

鐘の音と祈りの言葉のほかに声は聞こえず
世界は鎮まり
空気は澄んでいた。
祈りは数十分間もつづいた。

信仰というものは目に見えない。
けれどもそれは「在る」のだ。
神がいる、のではなく「在る」。
いるかもしれないとか、信じればあるとか、そんなあやふやなものではなく。
現実に、厳然と、確実に、そこに「在る」。
エチオピアの人々は神とともに居る。
長い祈りのあいだ、私は動くこともできずに立ちつくしていた。

あなたには信じるものがありますか?
・・・私は、私の神様を信じています。宗教じゃないけど。

あ、こういうひょうきんな神様もけっこう好きです。
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| エチオピア | 15:35 | comments:4 | TOP↑

COMMENT

だださん、良い事 言うわ~~。(^^)v
私は自分の中に神様がいると信じています。

なのに!
元旦には近所の神社で手を合わせ、お葬式が
あれば檀家になっているお寺にお願いしていま
す・・・・。生きているうちに戒名をつけてもらう
べきか?と考えていたりして~。
色々矛盾していますが(笑)。

| ひらの | 2011/12/01 18:46 | URL |

>ひらのさん
何かの台詞じゃないですが、「神はひとつ」ですね。
私も神社仏閣教会どこででも祈っちゃいますが、深い信心は持ち合わせていないので、「戒名って不必要では?」と思ってます。

| だだ | 2011/12/02 09:53 | URL |

どこの国に行っても 宗教の色は感じますよね。
日本はホント 宗教がないなぁと・・・。
死に向かう時とか、もう少し宗教感を持つほうが救われると思う時があります。
戒名とか お布施・・・どうしても金絡みになってしまう日本の仏教も どこか違うんですよね・・・。

| 霧のまち | 2011/12/02 10:11 | URL | ≫ EDIT

Re: タイトルなし

>霧のまちさん
日本にも宗教色はたくさんあるはずなんですが、存在感は薄いですよね。
信心深い国の人からすればびっくりするらしいですね。
宗教じゃなくっても、信じるものさえあればいいと思いますが。

| だだ | 2011/12/03 12:07 | URL |















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