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旅行中の「壁ドン」体験(その1)

イスラエルはエルサレムでのごと。

エルサレム
(エルサレムの町)

泊まった宿が酷かった。
普通の部屋じゃなく、屋上に作りつけた「物置」みたいな部屋だった。
物置をベニヤ板で2部屋に区切ったみたいな。

隣室の音なんて筒抜けだ。
隣りのおっさんのオナラやゲップがバンバン聞こえてくる。
おっさんがトイレで小さい方をしてるのか大きい方なのかまで分かるくらいだ。
うるさくて仕方がない。

だがオナラやゲップやトイレの音はまだマシだった。
イタリア系だかフランス系だかのおっさんは、夜になると女の子を連れ込んだ。
うるさくて眠れやしない。

とはいえ夜だし、隣りはツインだし、一晩だけだからしゃーないって、思おうとしてた。
だが夜だけじゃなかった。
やっとのことでウトウトしてたら、突然、ガタガタとベッドが揺れて目が覚めた。
いやベッドだけじゃない。
部屋そのものが揺れている。
地震か!
と思って飛び起きた。
ら、隣室の女の子が
 「Oh,My god!」
とキモチよさそーに叫ぶのが聞こえた。
・・・地震じゃなかった。
安普請の物置だから、お隣さんが揺れると倉庫ごとガタガタ揺れちゃったのだ。
時計をみたら朝の3時半。
さすがに頭にきて、隣りとの仕切りのベニヤ板を

 ドン!!!!!!

蹴り飛ばした。
おっさんのわめき声とともに

 ドン!!!!

が返ってきた。
が、それ以降は静かになったので私は朝までゆっくり眠れた。

夜になると揺れるという「安宿あるある」。
これが私の壁ドン初体験です。

| イスラエル | 10:43 | comments:0 | TOP↑

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シリアの人々

私がシリアを訪れたのは2010年春のこと。
それから1年もしないうちに反政府運動が起こった。
戦いは泥沼化し、今日も激しく続いている。

反政府運動の中心地・ホムスには観光地にいく途中で立ち寄った。
道を渡ろうとしただけで
 「どこへ行くの?」
と声をかけてくれた若者がいた。
バスにのれば隣席の夫婦が
 「ハイ、アメちゃんあげよう」
とレモンの飴をくれた。
バスの運転手は
 「ガイジンさんは珍しい」
と喜んで、料金をタダにしてくれた。

あの若者は今、戦いの中にいるかもしれない。
アメをくれたおばちゃんは家族を失っているかもしれない。
運賃をまけてくれた運転手は無事だろうか。

遺跡でピクニックしている家族連れに
「いっしょにゴハンを食べよう」
と誘われた。
大家族の一人ひとりを紹介をしてくれた。
そのうち一人が警察官だった。
柔和な顔したおじさんで、青いストライプのシャツを着て、
「今日は休みなんだ」
と口数すくなに微笑んでいた。

警察官は政府側になる。
内戦の中で、あの家族はどうしているだろう。
柔和な顔をしたおじさんは、反政府軍に銃を向けているのだろうか。

ハマの町では町の人たちみんなから
 「ウエルカム!」
と声をかけられた。
 「シリアに来てくれてうれしいよ」
とすれ違いざまに言われた。
子供や若者が次々と私をとりかこんだ。
みんなで写真をとったり、ジュースをのんだり、くだらないことをお喋りした。
女の子たちは私の髪型を珍しがった。
赤ちゃんを連れたお母さんが
 「この子といっしょに写真を撮ってくれ」
とやってきた。
その赤ちゃんだって、もう生きていないかもしれない。

毎日ながれているシリア内戦のニュース。
日本でテレビを見ていると遠い話に思えてくる。
だけど、ハマの爆発で死んだのは、あの子かもしれない。
画面に映しだされた兵士は、あのときの若者かもしれない。
難民としてトルコへ逃げていったのはあの少女かもしれない。
懐かしいハマやホムスの町が戦場としてニュース画面に映しだされるたび、そんなことを考える。

私にお茶をおごってくれた優しい人が、私に道を教えてくれた優しい人を殺している。
戦争は天災とは違う。
やめることができるはずなのに。

そしてまた思い出す。
町中にかざられたアサド大統領の似顔絵を。
先生の指示で、
 「アサド大統領からニッポンのハトヤマ大統領へ『ようこそ』を言います」
と声をそろえた小学生たちの瞳を。
彼らは今、何を思っているだろう。

ハマの時計塔
(ハマの時計塔)

| シリア | 14:50 | comments:2 | TOP↑

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アジアとヨーロッパの狭間で釣りをする

アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡、
そこにまたがる街がある。
橋を架けてる街がある。
トルコのイスタンブールだ。

橋のこちらは、アジア側。
橋をわたれば、ヨーロッパ。
世界をむすぶ橋の上で
おじさんたちが釣り糸を垂れていた。

釣り人
(by POCKET DIGITAL CAMERA SQ28m )


おじさんたちの呑気さと
青空のすがすがしさが心地よくて
欄干にもたれてぼーっと見ていたら、

「君もやるかい?」

って竿をさしだされた。

釣り人 (1)

釣りなんかやったことないよー、と笑いながら手にとってみる。
おじさんは嬉しげに釣りのコツを教えてくれたり
今日釣った魚を見せてくれたり
いろいろ喋ってくれたのだけど
・・・トルコ語なんでサッパリわからない。

釣り人 (3)
(by ViviCam5050)

私たちが垂れる糸のすぐ横を船が通り過ぎていく。
港からは、ボスポラス海峡を北上して黒海までいく船もでている。
別の世界へとつながる船だ。

おじさんが竿を引き揚げた。

 「釣れたぞ!」

釣り人 (2)
(by ViviCam5050)


ちっちゃ!
でも食べられる魚だ。
おじさんは、今日の晩ご飯をたくさん釣って、
バケツがいっぱいになったら帰るんだと言ってた。

釣り人 (4)
(by ViviCam5050)


アジア側も。
ヨーロッパ側も。
空はずーっと、青いまんまで広がっている。

| トルコ | 15:05 | comments:3 | TOP↑

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マズいけど、美味しい

シリアの遺跡を散策していたら
 「こっちにおいで!」
と呼ばれた。
知らない人に呼ばれた。
 「外国の人、いっしょにゴハンを食べましょう!」
ピクニックをしている家族連れが、招いてくれていた。

出してくれたものは
ホブスという丸いパン、
トマトとキュウリのサラダ、
そしてこの、フール。シリア料理の定番だ。

フール

・・・・・・どうしよう。
スプーンを持つ手が固まった。
日本人には比較的人気があるといわれるフールやホブスなどのペースト料理が、私は大の苦手なのだ。
 「なんでも平気、なんでも食べる!」
と言えるほと私はタフではない。
胃も弱い。

それでも旅をしていると、本当に優しい人にたくさん出会う。
どこのウマの骨ともわからぬ、通りがかりの外国人である私に
お茶やゴハンをご馳走してくれる。
日本では考えられないほどの親切だ。
時には、けっして豊かと言えない人たちが
自分の食事を削って出してくれたりもする。

だから
そうやって差し出されたものは
絶対に完食しなければならぬ。

どんな料理であろうとも。
どんなに口に合わなかろうとも。
胃袋が拷問に遭おうとも。
たとえそのせいでお腹をこわしても。
顔だけは笑ってニッコリと
 「美味しい」
と言わねばならぬ。
料理の味ではなく、さしだしてくれた人の愛を頂くのだから。

って、私は思うけど。

一方では
 「ごめーん、これ無理ー!」
って笑って言えちゃう人もいる。
 「食べられなーい!」
そのほうが正直でいいのかもしれない。
どちらが良いのか私にはわからない。
まあ、キャラと状況の違いだろう。

できれば苦手なものが出てくる前に察知して
 「いまお腹がいっぱいなんで」
と辞退する能力を身につけたいところ。

ピクニック遺跡
(アレッポ近郊の遺跡)

豆の入ったフールは、味は苦手だったけど、親切はおいしかったです。

| シリア | 12:07 | comments:3 | TOP↑

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死の町

ペトラ遺跡や、パルミラや。
シリアは大きな遺跡の多い国だ。
日本ではあまり有名ではないけれど
びっくりするほような遺跡群もある。
大昔の町が丸々のこされているものだ。
それも一つや二つではない。
5、600はあるという。
廃墟となった町はデッドシティと呼ばれている。
死の町、だ。

デッドシティ2
(写真はすべてViviCam5050にて撮影)

飢饉のせいか。
疫病のせいか。
町から人が消えた理由は今もわからない。
わかっているのは、この町にはもう誰も住まないということだけだ。

デッドシティ

かつては、この窓から顔をのぞかせた人がいただろう。
あの扉から家をでて、仕事にむかう人がいだろう。
路地には子供の笑い声が響いていただろう。

デッドシティ4

デッドシティ3

私がシリアでこの写真を撮ったのは2010年のこと。
デッドシティは遺跡の話で、ひとごとだと思ってた。
まさかその翌年に自分の国で、日本で、
大臣が被災地を「死の町」と表すようなことが起こるとは想像もしていなかった。

福島には、ふるさとで年を越せない人が
家に帰れない人たちがたくさんたくさんいる。
飢饉でもなく疫病でもなく放射能のせいで。
人間のこしらえたもののせいで。

黄色い花

簡単な話ではないだろう。
それでも、来年は明るい花が咲きますようにと、祈らずにはいられない。


・・・以下は、ブログランキングについて。

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| シリア | 12:12 | comments:4 | TOP↑

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